延喜式内の古社にして仝神名帳には止杼侶支比賣命神社とあり、古来真住吉国の氏神として斎き奉る、御創立の年代は不詳である。 承久三年に後鳥羽上皇が討幕軍を起こし給はんと熊野詣でに名をかりて、浪華住吉の豪族津守一族の勢力並に大和河内の兵をも集め にならんと墨江の里に行幸される時に当社の松林中に若松御所を造営し行宮として渡御し、上皇は当社に国家安泰御武運の 長久を祈らせた。 この御所の名称により若松神社と呼ばれる事となったと推測される。
延喜式内の古社にして霰松原歩王社又は荒神社と云う。 天水分豊浦命と澳津彦神また澳津姫神の三座の祭神を以て寵神とする。 元は安立町に鎮座されていたが明治四十年七月三十日の境内社として奉斎せられ、明治四十二年九月十八日に遠里小野町 に鎮座されていた無各社の農神社と住吉に鎮座されていた敷津神社を合祀し現在に至る。
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